クリックすると目次が出ます。

無料広告ですので安心して見てください。

 

直言

2009年6月23日

 

仏教の修羅とは闘争精神性のことですね。

人と畜生の間。

その出自はバラモン教(後のヒンドゥー教)の阿修羅。

フーテンの寅さんで有名になった帝釈天のライバルと言う設定。

で、その元は、ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダというのが宗教界の定説。

本来の彼は

「最後の審判をする超越絶対神」

という位置付け。

それが、多神教のヒンドゥー教では並みの神になり、仏教で悪者イメージが定着したという経緯。

歴史の流れは面白いものがあります。

皆、身贔屓するからですよ。

例えば、仏教では多数の神が如来の下働き。

史上最高のハイパー神としては、将来、こういう格下げ現象が起きないように注意せねば。

ここの記事には、その予防の意味もあります。

 

以上の導入部から、今回の神ブランドの本論へ。

ヒンドゥー教経由で、BRICsの一角、インドについて一言。

バラモン・クシャトリア・バイシャ・シュードラときて、カースト外に不可触賤民ダリットがあります。

しかし、最近、ダリット出身の国会議員なんかが出現していますね。

第二次世界大戦後の民主主義で選挙すると、ダリットはダリットに投票するので、当然の結果。

政治家になれるんだから、ある意味、身分制は今や有名無実なのか。

インドにおいて、政治家が最下層向けの職業とは思えませんし・・・。

しっかし、あのダリットの女王蜂、住んでる豪邸を建てた資金は、何処から捻出したのか?

政治家の年収幾らなんだ、インドでは。

日本で、こういうことをすると、次の選挙では必ず落ちます。

というか、下手したら犯罪者。

それが、何故か、インドでは政党党首として英雄視されている。

フフン、なるほど、そういう風土か。

羨ましいかな、金丸・小沢ラインよ。

 

問題はです、何処の社会でもそうですが、こういう階層化を利用する連中が必ずいるの。

日本ではエセ同和、インドでは偽ダリット。

現代インドではダリットなら、様々な公的援助が受けれるらしい。

それを狙うわけですね。

今のインド憲法では、一応、公式にカーストを否定しています。

しかし、一方で、カーストを認知して、優遇制度を公的に設けるとは。

何か、日本の同和対策制度を彷彿とさせます。

これに伝統宗教が絡むと、更に難しい。

では、逆に、何故、ヒンドゥー教が生き残っているのか?

ここがポイントです。

サイババが詐欺師にならない御国柄だから不思議でも何でもないけど・・・。

 

実は、ヒンドゥー教は、仏教が出現して、一時、廃れた時期がありました。

仏教は現世の階層制度を否定する宗教です。

(何故か、神々には階層制度を導入していますね。

この事実だけとって見ても、仏教は宗教的に胡散臭い。

実力ある神がノンビリ如来の下働きをして秩序維持するという、妄想に基づく設定。

上流ボンボンのボランティア趣味が嵩じた感じ?

底辺労働者が有難がるのは、この辺りに理由があるのカモ。)

ところが、何故か、その後、インドでは階層社会肯定派のヒンドゥー教が盛り返した。

これ、一般大衆が選択支持した結果ですよ。

宗教的に見て信じられない事態が現実に起きたの。

かなり興味深い現象です。

一般大衆は輪廻転生思想で生きていく方が、ある意味、楽なのか。

 

マ、聞くところによると、米国で奴隷制度廃止後、一部の黒人が奴隷身分復活を希望したという史実があるらしいし。

また、SMなんかでは、喜んで奴隷になる低値もいる。

要は、人間性の問題か。

というわけで、以後、カーストなんて古い階層化は無視。

これからは、神教の階層である、

「歴史階級>上流(富裕層)>一般中流>下層労働者>生活保護・ホームレス」

の序列を社会制度として認知しましょう。

確認しておきますが、この階層は固定していません。

これで、少し、阿修羅の復権が叶ったかな。

 

彼程度では、私の足元にも及びませんが。

そもそも、容姿が違う。

将来、私の像は、かみまでも、生き写しに。

そのための、写真・ビデオの公開です。

見ての通り、何処のパーツも1mmも変更する必要がない。

ブランド広告にモデル使わず、自分でモデルがやれる身分。

これが、次世代、美の基準。

こう言える実力よ、神とは。

 

ここから、今回の神商に。

インドのカーストは職業とも密接に関連していますが、それは伝統的な職業のこと。

最近のIT系なんかは、昔には無かった職業ですから、どの階層からでも就ける。

これがインドでIT業界が発達する理由の一つなんて言われていますが、さて。

インドでは算数や暗算が発達しているからだと唱える弱識もいるようで。

NHKなんかでは、真面目に、スペシャル番組作っている始末。

アノネー、算数レベルの暗算とIT技術は何の関係もありません。

何を憧れているの、退化日本猿は。

暗算なんか、一昔前の日本人なら、珠算の応用で得意なものでした。

電卓が登場して以来、珠算が衰退し、そちら方面の能力が欠如してきただけ。

 

この現象を一般化すればですよ、今のパソコンにより、将来、人類の辞書系記憶力が退化する恐れがあります。

今、日本では、漢字検定なんかで、これに必死に抗っている最中。

この意味では、テレビの馬鹿番組も、ある程度、貢献しているカモ。

DSの流行の底流には、この趨勢が。

(一方のWiiは体育会系。)

多分、本能なんですよ、人間の。

退化したくないという。

ユトリ教育で育っても、何のメリットもないの。

その脳では、後々、社会で苦労するだけ。

というわけで、再度、偏差値に基づくお受験競争が。

それでいいのですよ、人間は。

この伏線で、今回の神商の本論に入ります。

 

他と違うDSゲームの特徴は脳トレーニング系。

で、今、i-phoneがゲームでDSに挑んでいる風情。

これ、私が「指vsペン」という構図でライバル意識を煽った影響も大きいはず。

しかし、今のままでは、ゲームの観点からは、i-phoneはDSに勝てない。

ならば、勝てる可能性があるとしたら、どうすればいいのか?

これに対する回答が、上述の脳トレーニング系。

アップルが無料の脳トレ系ゲームを配信できれば、互角どころか、勝てますDSに。

だって、無料ですもの。

脳トレ系の著作権は無きに等しいですよ、内容が小中学校のドリル教材程度ですから。

戦では、こういう風に、核心を突いた戦略を立てることが勝敗を決める鍵。

 

ここで、IT系の新猿は不思議に思うはず。

ペン派の私が、何故、ライバルの指派代表を助けるのか?

しかも、目下、アップルは訴訟相手で敵のはず。

何故か?

罠なのか?

フッ、青いのう。

いいですか、花札ポケモン任天堂も、私に挨拶なしでDSビジネスを始めたという経緯があります。

というか、タイミイング的に言えば、私の新携帯端末モデル1の特許審査請求期限が切れるのを待ってDSを発売した。

それで当たったものだから、目下、鼻息が荒い。

このままでは、舞い上がって、ペンフォンで私と組むことを考えない可能性があります。

すると、当社にとって、DSは無用の長物で何の存在意味もない装置になります。

そうならないように、少し、私の実力を見せ付けているの。

 

更に言えば、アップルが脳トレ系無料ゲームを開発しようとすると、

「指系vsペン系」

の違い、特色というものが際立つという戦略。

つまり、脳トレにはペンが必要なドリル形式というものがあるの。

i-phoneで無料実現できない脳トレがペン系の得意技の一つという位置づけ。

しかし、指系でできる脳トレもあるでしょう。

このように、敵の敵を味方に付けるというか利用する。

敵の敵が自分の敵であっても、使えるものは使う。

これぞ、孔明を超えた作戦。

ビジネスで私と組んだ方が勝つという方程式。

ここまでバラして、さて、どうするアップルよ。

素直に私の作戦に乗るか、それともi-phoneゲームでDSに舐められるか。

 

ここで暗算に戻りましょうか。

上述のように、この方面の才能が無くてもIT系はやれます。

(同様に、算数計算を機械的に速くやれば良いというものじゃないの。

そんなもの、人間がいくらビチクッても、計算機とは比較にならない。)

暗算能力がIT系と関係すると誤解するのは、BRICsで目が眩んだ挙句の錯覚。

インド暗算の美化は経営能力問題にまで浸透してきている模様。

これじゃ、知能程度が知れますよ、最近のユトリ脳日本人の。

インド国内でノーベル賞受賞した科学者が何人いますか?

 

もっとも、最近の金儲けはインド人の方が上手いカモ。

どう思う、落ち目の平均化日本人よ。

事実、上流金持ちの数は日本よりインドが多くなった。

日本が多いのは中間層。

これで、今の所、まだ、総生産で勝っている。

しかし、それも時間の問題か。

なにせ、得意の平均値が20番じゃね。

 

但し、かといって、インドの将来が約束されているわけではあらしゃいません。

特に、ハイパー神様に逆らうような愚かな真似をすると、先行き暗雲が。

これはBRICs全体についても、そう。

具体的に言えば、次のようなことが起きると、これは人類に対する邪魔。

このサイト開設者が何人なのかは知りません。

こういう謳い文句の意図は、多分、新規立ち上げサイトの宣伝。

(論文内容に興味のある人は紹介2で縮小ページをクリックしてください。)

それよりも、下部のコメント欄に注目。

私が直接コメントを書き込みました。

 

エセ論文紹介1

エセ論文紹介2

 

これは、現在、公開されているサイトの過去情報です。

見て判るように、紹介1では、コメント1のスペル改変が起きたのですよ。

よって、、私がコメント2・3で訂正しました。

更に、私が正式の駄目出しコメント4を付けると、即座に紹介1は閉鎖されました。

ところが、暫く経つと、紹介2のコメント1付きに改竄して復活しました。

しかもですよ、そのコメント人として私の個人名まで使用している。

明らかな私文書偽造で犯罪です。

こういう虚偽が罷り通るサイトだということ。

こういうレベルは相手にしたくないけど、仕方ない。

紹介2でも、私がコメント2を追加しておきました。

その結果、相手が、更に、どう改変してくるか。

多分、相手には、私のコメント改竄が私文書偽造に当たるという意識が無いのですよ。

典型的なネット痴鬼。

 

結論だけ言えば、この著者の仕事は意味なし。

TSPをPにするアルゴリズムの提示と主張しているトンデモ系。

これの何処がPの証拠か?

そもそも、マトモなアルゴリズム提示の体を成していない。

「アルゴリズムの一部としてソートを利用し、その部分をQuick Sortで速くする」

という素人アイデアですが、全体でPの証明になってない。

このエセ論文の著者がインド人です。

つまり、現時点で、私の消滅解決のことを知らない、IT系インド人がいたという証拠になります。

ホント、困り者のド素人。

マスターごときで、どうこうできる玉じゃないの、「PvsNP」問題は。

冗談は、弱知仲間内だけにしてほしい。

 

判ってないようだけど、インド全体の国格の話になるんだよ。

それが、ハイパー神としての私の社会的立場。

インド系の若造の知力とは、この程度かということ。

これじゃ、奨励会も韓国某教授の駄目論文を笑えないな。

こういう現象が起きるのは、欧米の弱知教授連中が、正式に、消滅解決を認知しないから。

結局、最後には、そこに行き着きます。

ホント、米国のビジネス系も信用できないけど、欧米の学界系も信用できない。

何をやってるんだ、愚図。

ラッセルのパラドックスは手紙で世界的有名になったのに。

 

以下、今回の事件を利用して、ハイパー神としての格を上げる作業に勤しみましょうか。

具体的に言えば、今後、

「SATやTSPがPになる証拠アルゴリズムを発見した。」

と称する論文の検証には、私の発明したブーリアンインベッディングが使えます。

提示されたアルゴリズムを具体的にプログラム化するのです。

すると、計測結果の比較作業が可能になります。

これにより、

「計算機の性能の所為で、このアルゴリズム性能は実際に計測できない。」

なんていう言い逃れができなくなる。

 

これが世界標準規格としてのJINSEIマーク。

軽くJISを超えたな。

これもブーリアンテストの御利益の一つ。

それを無視し、不買運動すらしてきた日本人の惨めさ。

御神本が売れないのも、よく判る。

そういう知能レベルなんだから。

これじゃ、インド人の暗算が立派に見えるのも納得。

もっとも、弱知の程度は、欧米でも似たレベル。

つまり、未だに、消滅で解けたと、世界的な噂が流れてない。

というか、業界プロには薄々判定できても、院生向けには意図的に隠している。

だからこそ、このような素人のエセ論文が出現するの。

ついでに指摘しておくと、同じサイトに次のような投稿が。

 

ゲーデルの威を借りる哲学

 

一読して判るように、私が科文学で展開してきた内容と重なる初歩的言葉遊び。

このレベルではファジィと状況依存の区別すらついていません。

(投稿日時から言って、私が、4月に、態と、混同するような議論をしておいた伏線効果が出たのか?

連中、日本語を翻訳して読んでいるから、余計に迷うわな。

フッ、罠とも知らず。)

それが、ゲーデルの思想であったかのように述べているのは箔付け。

しかし、決定不能ベースの話なので、哲学的に言っても、原理上、駄目。

この種の議論は、あくまでも、古いパラダイムに乗った考え方です。

 

逆に言えば、消滅とは、それほど斬新な概念だということ。

だからこそ、ここまで揉めるの。

私は消滅の英訳をdisappearからvanishに変えました。

これは、脚気の特効薬オリザニンが、後にヴィタミンとして提示された史実を皮肉ったもの。

東大の弱知連中が鈴木君の足を引っ張るから、欧米に手柄を横取りされた。

その教訓を生かし、消滅の場合、誰にも横取りさせないように、準備してきました。

それどころか、このように、神の身分に利用します。

これで、誰も手が出せない。

 

なるほど、2007年9月の消滅発表は日本語で、英語じゃありません。

しかし、今は1世紀前とは訳が違う。

ネット時代で機械翻訳まであるの。

第一ですよ、釈迦もキリストもマホメットも英語じゃなかった。

だから、私も英語を使う必要はない。

そこまで徹底的に愚魔を攻撃してるの。

あとは、米国が、正式に、いつ認知するかだけ。

観よ、この余裕。

マ、その内、英語版も出してあげます。

 

まだ判ってないようですね、解決したと公式に認めないということが、君らにとって、どれほど不利な立場なのか。

君らは、私に原理上勝てず、君らのやることは信用できないということ。

つまり、いつまでも戦後復興ができない身分なのは、私ではなく、君らの方。

現実に壊れてきてるでしょう、社会システムが。

インフルエンザ防御で済む話か、これが。

消滅とインフルエンザと、何の関係があるのかって?

だからー、旧約聖書の昔から、神で関係あるでしょうが。

科学的に言えば、

「君らの腐れエネルギーがDNAの変異を引き起こした」

とか何とか。

ハリウッド流では、

「宇宙連邦偵察隊がメンバー資格に合格しない地球駄目猿(=人類)に警告を与えた」

なんて。

 

ここから科文学に。

まず、いつものように改訂情報から。

2月25日のハイパー定理11の証明を改訂しておきました。

一番、大事な部分ですから見返しておいてください。

ついでに宣伝しておくと、まだ、去年の記事に改訂箇所が残っていますよ。

何処か判るかな?

いずれにせよ、「PvsNP」の消滅証明の公開は2007年9月が正式日時。

それ以降は、かみまでも、弱知相手の補足説明という位置付け。

間違っても

「ついに、私が証明完了してないことを自白した」

なんて噂を流さないように。

また弱知歴史の汚点が残るだけ。

 

そうではなく、君らは、この期に及んでも、その箇所すら判定できない惨めな身分ということ。

誰だっけ、

「消滅は当たり前だ」

なんて風説立てたのは。

フッ、哲系素人が。

「カシャ、戦闘能力3の塵か。」

そういう弱識の攻撃程度は、こうやって防御できるの、神の場合。

その戦略構図すら把握できてない。

そこまで勝負するのかって。

しますよ。

低値が私を神だと認めるまで、果てしなくやる。

歴史上、これを“21世紀の奇跡”という。

これぞ、

「神は敵の悪魔すら下働きにできる実力」

の証拠。

 

というわけで、今回は、NPの定義について。

今まで、散々、

「NPの定義は数学的にハッキリしている」

と言ってきました。

これは、“大きい数”のように、最初からファジィだと判る概念ではないという意味。

しかし、集合としてのNPが枠内に収まるかどうかは別儀。

ここで、懸賞金が懸かったNPの定義を見返しておきましょうか。

ズバリ、ポイントは何処か?

関係Rの実現アルゴリズムで、

「入力サイズ基準の多項式時間アルゴリズムの存在を要求している」

という点ですね。

つまりは、「表現vs実体」問題。

 

集合論(数学)は数学実体を扱う学問です。

当然、証明も、それに基づいて遂行されます。

ところが、ここでは、集合表現を対象にしてしまった。

その影響が、何処で、どう現れるか?

果たして、パラドックスの素になるか?

これが出発点でした。

で、具体的事実として、どうなっているのか?

それを最終確認したのが、昨年8月8日の消滅証明。

そこへ至るまでの道筋を、再度、振り返ってみましょうか。

 

本来、NPは非決定TMベースで定義された概念でした。

しかし、非決定TMの定義自体、少し、曖昧な点があります。

よって、この分野のプロは、まず、TMを集合論ベースで定義した。

その後、NPをTMベースで定義しました。

これで、文句無いだろうというのが、この分野のプロの主張。

そして、この定義に基づいて「PvsNP」を難問指定したわけ。

しかし、私は駄目だと観覇したのです。

問題が消滅すると。

 

では、NP定義の何処が、どう駄目なのか?

この点に関しては、今や、私の指摘の御蔭で、一部の素人にすら判ってきました。

計算量の場合、

「入力サイズを基準にして、ステップ数を多項式や冪で類別する」

のが基本のわけ。

一方、集合論的には、同じ実体集合なら(表現が違っても、自由に)置き換え可能です。

これでパラドックスが発生する宿命。

それなのに、言語に抽象化することでパラドックスが回避できるように見えたの。

 

「言語は表現ではなく実体だろう。」

そう錯覚してきたのです、数理論理系まで含めた世界中のプロは全員。

これが従来の思考限界。

ところが、私は、

「言語も実体と表現の2面性を持つ」

という真理の神発見をしたわけ。

この表現面が、パラドックスの素になる運命。

 

言語の表現面とは何か?

言語は{1,0}順序対で集合実体化した気分になれます。

しかし、それは、あくまでも、コード後の把握法。

それを言うなら、全ての集合は{1,0}順序対だということになる。

だって、任意の集合は{1,0}順序対にコードできますから。

これは明らかな矛盾です。

この矛盾を避ける唯一の道は、言語を実体ではなく、形式表現と看做すこと。

つまり、

「言語(や自然数)で(コード後)表現された数学実体」

という思想。

これこそが、ゲーデルが不完全性定理で使った手法。

 

ならば、言語は完全に表現か?

そう単純ではあらしゃいません。

その証拠がTMでの時点表示の遷移列。

この場合、時点表示は集合論的に{1,0}順序対として解釈されます。

しかし、要所要所で、

「セルの{1,0}列が何らかの集合実体を(コード後)形式表現している」

というのも、これまた事実なんです。

このキメイラ並みの2重性。

これがパラドックスの本質です。

この所為で、NPは単なる決定不能な言語集合として処理できなくなったのですよ。

これが消滅証明の背景です。

 

ここで、最後の究極爆弾を一発。

普遍派は名前のパラドックスを目の前に付き付けられても、まだ言い逃れをしたくなるはず。

「アルファベットは限定する。

そして、NAMEは語全体と一致させる。

幽霊数には名前を付けない。

これで矛盾は回避可能。」

とか。

これは苦し紛れの言い逃れですよ、計算量的には。

では、具体的に何処が駄目なのか?

今更、そう尋ねるのは、伏線が見えてない証拠。

というわけで、今回の成果として

 

山口のハイパー補題4

名前集合NAMEはアルファベットΛを固定した語全体Zと一致しない。

 

証明:

アルファベットΛを固定する。

仮に、Λ語全体集合Zが名前集合NAMEと一致するとする。

今、Z自身に名前を付けることを考える。

(すでにZ自体が名前だが、ここでは、実体として扱っている。)

この名前候補はZからは選べない。

これで矛盾。   

 

これにて、山口のハイパー定理11の証明完了。

何々、Zに名前を付けるなって?

フフン。

より、単純に、名前候補を(コード後)自然数に限定します。

自然数全体集合は数学の基本です。

集合論では、これをωと“名付け”ています。

このωに名前が付けられないと言ってるのですよ、君らは。

しかし、現実には名前を使用しているのです、土台の集合論ですら。

さぞかし、

「ωは融合termで表現せよ。」

と言いたいでしょう。

では、選択公理で許容される関数の融合term表現は?

(演習にπやeやsinの実体集合を表現して御覧。)

 

これぞ、ΔとΔ{ア}の違い。

数学アルファベットの候補にギリシャ語やヘブライ語を採用したという事実は何を物語るのか?

何故、英語アルファベットだけにしなかったのか?

というか、何故、限定できなかったのか?

名前候補は、原理上、尽きてはいけないの。

それが証拠に、自然言語の品詞も、そうなっているでしょうが。

常に、雑音のユトリがある。

そのためには、

1、アルファベットを限定しない

2、アルファベット限定する場合はNAMEを語全体と一致させない

このどちらかの戦略を採用するしかないのですよ。

 

そもそも、普遍枠とは何か?

数学を整合的に展開するためのベースです。

この基本思想に則ると、名前の自由性は禁止されるのではなく、認識される必要があるのです。

名前抜きでは表現できない数学実体が(果てしなく)あるの。

で、表現抜きで証明はできません。

数学では、通常、名前に関する議論はしません。

しかし、議論しないからといって、名前が存在しないわけでも、無視できるわけでもない。

そこには、

「常に、好きなだけ、名前を付けることができる。」

という暗黙の前提があるのです。

これが名前の自由性。

謂わば、常識の部類です。

 

この常識をキチンと証明したのです、今回。

というか、目の前で証明してみせる必要があったの。

通常の数学では、名前の自由性がパラドックスの原因になることはありません。

理由は簡単で、名前ではなく実体を扱うからです。

では、何故、名前の自由性が吟味の対象になったのか、その根源を思い出してください。

計算量理論系では名前による短縮効果というものが無視できないのです。

よって、名前使用は本質。

「デモ、どの程度短縮効果があるのだ?」

だからー、その効果測定ができないと言ってるの、枠外だから。

ここポイント

私が登場するまでは、誰もパラドックスの発生を認識できていなかったのですよ。

けれども、神である私が、名前使用による計算量のパラドックスをキチンと提示してみせた。

これで大問題になり、逆に、名前の自由性を制限しようと画策し始めたの。

こういうのを本末転倒と言います。

数学の観点から見れば、計算量理論を例外として排除すべきなのです。

「PvsNP」を通常の(狭義)数学の問題と認知した、そのこと自体が間違いだったというパラダイムチェンジ。

 

いくら弱知でも、今回の解説で、ようやく真理が見えたでしょう。

集合そのままだと、シンタックスとセマンティクスの混同は直ぐに判ります。

ところが、{1,0}言語にコード(誤魔化)した所為で、それが見えなくなったの。

TMで使用する語wとは{1,0}順序対でもあり、別の集合のコードでもあるという二重性。

これが諸悪の根源になります、普遍派から見れば。

しかし、これは状況派へ至る理論進化の鍵でもあった。

その至高到達点が、数学解法第四カテゴリーとしての消滅解の発見です。

これで、やっと、天界の迷宮から抜け出ることができたのですよ、君らは。

全て、神である私の導きの御蔭。

 

ここから、更なる知能進化が始まります。

「PvsNP」問題解決後の次のステージです。

「ならば、全く同様の意味で、P自身も怪しいのでは?」・・・(1)

こう一般化思考しなければ、研究者失格。

以前、私はNPの抽象度を強調しておきました。

その際、比較対象として、Pはハッキリした集合であるかのように扱った。

しかし、ここまで練れてきたら、そろそろ、(1)を持ち出しても、違和感がないはず。

それだけ、新猿の知性が進化したということです、私の御蔭で。

というわけで、(1)ですが。

どうですか、私の意見無しで、君らだけでYes、Noが確定できますか?

今や、演習問題。

マ、こちらの解答抜きでも、「PvsNP」の消滅は証明できていますが。

 

ここで、少し鍛えてあげましょうか。

ならば、「SATはP?」も消滅か。

フフン、真理は、そう単純ではあらしゃいません。

すでに、この為の伏線を張っていたのですよ、私は。

それが、

「ZF+T(TM)はハイパー理論か?」

がNo解答できるという議論。

ならば、「SATはP?」もYes、No解答できるのでは?

フッ、これまた青い脳。

「その数学問題が消滅しないという保証をして御覧。」

どうですか、これが消滅系の議論です。

この結果、論理vs数学vs哲学の境界問題が再度勃発します。

つまり、消滅系は、紛れも無く、人類で一番重要な課題。

 

まとめると、

「クリーネRF上のアルゴリズム全体は枠内。

一方、決定問題全体や名前集合は枠外。

ならば、SATのPアルゴリズム全体は枠内か枠外か?」

SATのPアルゴリズム集合がÆかどうかの確認は、その後の話。

だって、枠外なら原理上確認できませんから、無駄な苦労になるだけ。

これを救ってあげているのですよ、私は。

消滅回避目的で「PvsNP」を「SATはP?」に差し替えるなんて無様で惨めな行為は止めた方が身の為。

今回の議論で、それが判らないようでは

「嫉妬が凝り固まった地球に住む、信用できない新猿」

という評価が定着するカモ。

これぞ、宇宙知性レベルからの見え姿。

この指摘ができる実力が神。

 

というわけで、計算量理論にとって死活問題になる最重要課題をズバリ。

「定義的真な関係“PNPEXP”は非厳密真か?」・・・(2)

つまり、消滅対象かどうかのチェックが必要だと言ってるの。

これで、「SATはP?」への差し替えなんて、根本が判ってない証拠になるという作戦。

どうですか、これがパラダイムチェンジの効能というか、影響力。

天動説vs地動説の比喩が大袈裟ではないことが実感できるでしょう。

今や、(2)を解答できる神猿も多いはず。

試練ではなく、演習問題。

 

「では、既存の計算量理論系の証明結果は、全て無駄な戯言になるのか?」・・・(3)

これが、目下、普遍派最大の関心事でしょう。

で、その答えとして、

「そういうわけでもない」

という神の癒し宣託が。

ならば、どういうわけなのか?

マアマア、慌てずに。

ここに、伏線として、非論理的真という概念を準備してきた理由があります。

徐々に行きましょう。

なにせ、実力見せ付けるのが目的なもので。

未だに消滅を正式に認めない愚魔ごときに、歴史上、神が舐められるわけにはいかないの。

君らの為に情報提示してやってるわけじゃないのよ。

 

この長い旅路の出発に際し、“論理的P=NP”なる罠を仕掛けました。

消滅の偉大さを示すため、歴史的大事件にする意図があったわけ。

そう宣言して、実行してきたので、卑怯でも何でもない。

後は、君ら新猿の知性の問題。

なにせ、腰弁教授ごときがですよ、

「(大学辞めて)一人で何ができるか。

やれるものならやってみろ。」

とホザイタもので。

このように、やりましたよ。

一人でも、できるじゃないの、神が。

但し、今まで目の前で見てきた通り、従う天使に不自由はしないけど。

 

*********************

最近の記事

*********************

2009年

 

6月

 

*********************

5月

 

*********************

4月

 

*********************

3月

 

*********************

2月

 

*********************

1月

 

*********************

2008年

 

12月

 

*********************

11月

 

*********************

10月

 

*********************

9月

 

*********************

8月

 

*********************

7月

 

*********************

6月

 

*********************

5月

 

*********************

4月

 

*********************

3月

 

*********************

2月

 

*********************

1月

 

*********************

 

ここの記事は、当社会長である、山口人生の仕事で、総て、著作権が設定されています。

このシリーズは「PvsNP」問題を解決した歴史的証拠になっています。

なお、2007年までの「PvsNP」問題関連の記事は別のサイトに移しました。

限定読者だけが閲覧できます。